PROJECT STORY

決断。

革新的な再生ナイロン樹脂
『REAMIDE®』が生まれるまで。

玉城 吾郎
リファインバース 取締役 
素材ビジネス部長

1984年生まれ。京都大学法学部卒。大学卒業後、東レ株式会社に入社し、法務・営業などを経験する。2016年当社に入社し事業開発部に所属。漁網・エアバッグなどのリサイクル事業を立案し事業化。愛知県一宮市にリサイクル工場をゼロから立ち上げ、事業を推進。漁網から再生されたリサイクルナイロン樹脂ブランド『REAMIDE®(リアミド)』は各業界から注目されている。

00
プロローグ。

「スタンスを取れ」
社長である越智の声が、静かに、だが鋭く響いた。“どうすればいいのか、お前が決めろ”ということだ。考えてみれば、この新規事業が最初に行き詰まったとき、それを解決したのも、自分ではなく越智だった。

誰もがその名を知る世界的な化学繊維メーカーからの転職。家族を東京に残し、単身、愛知県一宮市にやってきた。リファインバースグループの成長戦略を握るナイロン樹脂事業、その最初の生産工場で、赤字が止まらない。「ここが正念場だ」。玉城はこのとき初めて、本当の意味での腹を括った――。

01
最初の壁。

『REAMIDE(リアミド)』は、廃カーペットタイルの水平リサイクルに成功し業績を伸ばしてきたリファインバースグループの、次の一手となる主力製品だ。廃棄される漁網やエアバッグから作られる再生ナイロン樹脂素材で、製品化・量産化が実現すれば、衣料から自動車部品まで用途は幅広い。もちろん、まだどこにも成功事例はない。

廃漁網からの製造にはすでに成功していたが、廃エアバッグからの製造がうまくいくかどうかがカギとなる。前職の大手化学繊維メーカーでナイロン樹脂を扱っていた玉城に、プロジェクトが任された。この抜擢人事と、取り組むプロジェクトの革新性、社会的価値。以前の職場では味わえなかったやりがいに、玉城は大きな喜びを感じていた。

難しいのは、エアバッグに使われているナイロン素材とシリコーン素材との分離である。ラボで開発された基礎技術では分離には成功していたものの、コストがかかり過ぎ、量産しても採算が合わない。この問題をどうするか。ナイロン樹脂をよく知り、プロジェクトのリーダーでもある玉城だったが、研究開発自体は自分の専門領域ではない。ラボのメンバーも努力してくれている。もう少しこのまま続けていけば、じきうまくいくかもしれない。もう少し、このまま…。結局、開発チームの誰も明確な方向性を示せないまま、時間だけがいたずらに過ぎていった。

02
眠れない夜。

プロジェクトスタートから早くも1年が過ぎようとしていた頃、突然光明が差す。社長である越智が、生まれ故郷の今治で、染色に使われる技術を応用した新たな手法を見つけてきたのだ。玉城もすぐに今治へと駆けつけ、越智と共に実用化できるカタチにまで漕ぎつけた。

量産化への目途が立ち、生産を開始する工場も愛知県一宮市と決まった。その立ち上げを任されたのも玉城だった。もちろん工場立ち上げの経験などなかったが、どのみち、どこにも前例のない生産設備となる。誰にとっても「未知の世界」という点では同じ。妻と、まだ生まれたばかりの小さな子供とを東京に残して、まだがらんどうの工場が待つ一宮へと向かったのだった。

生産設備の搬入や設置、試運転なども無事に終わり、操業可能な状態になった。未経験ながら工場立ち上げをやりきったことで、玉城は一つの達成感と自信を得た。「高機能樹脂事業部」が発足し、その部長にも着任した。ところが、そこから毎月、赤字が続くようになる。

目標とする生産量に、一向に届かない。日々あがってくるデータを何度見ても、結果は変わらなかった。量産化技術がまだ完璧ではない部分もあったが、それは次第に最適化されていくはずだ。追加設備が欲しいところではあるが、赤字が出ている状況でさらなる投資はありえない。その分、必要な人員はアルバイトも含めて確保した。作業オペレーションも整理して、1時間あたりの生産目標も設定し、現場に通達済みだ。なのになぜ。自分の事業の赤字が、グループ全体の業績の足を引っ張っている。眠れない夜が続いた。人生で初めてというぐらいに、玉城は追い詰められていた。

03
決断。

あいかわらず生産量は上がらないまま、さらに数ヶ月が過ぎていた。原料となるエアバッグだけが、計画どおり搬入され、倉庫に積み上がっていく。年明け早々に、東京から越智が来た。現場を視察するためだ。ナイロンとシリコーンとを分離するための巨大なプールの横に、小さな浴槽が置いてあることに越智は気づく。あれはなんだ?「プール作業員の冷えた身体を温めるための風呂です」その答えに越智は愕然とした。なぜプール自体を温水にしないのか?山積する問題の中で、目の前の小さな課題に対する判断が放置されていること、先送りにされていることの象徴だった。

越智は玉城に迫った。“どうすればいいか、お前が決めろ”と。そこで初めて、玉城は自分がなにも決断していなかったことに気づいた。確かにデータは見ていた。報告は受けていた。指示は出していた。でもそこから先は現場に任せていた。いや、任せているのではなく、丸投げだったのだ。1時間ごとの生産目標を細かく設定はしていても、実際の現場では達成されていなかった。その原因がどこにあるのか。今の自分には答えられない。これではうまくいくはずもない。「スタンスを取れ」、その言葉を、玉城は本当の意味で理解した。

玉城が自ら現場に入ると決め、陣頭指揮を執り始めてから数ヶ月。明らかに改善が進んだ。チームとしてのまとまりも出はじめ、スタッフ一人ひとりが主体的に業務改善に取り組むようにもなった。さらに数ヶ月後、一宮工場で初めて、月80tのナイロン樹脂素材が生産された。収益ラインを超えたのである。

04
エピローグ。

現在、原料の調達が追いつかなくなるほどに、一宮工場の生産能力は向上した。廃エアバッグだけでなく廃漁網の仕入れ拡大も急ぐ。年度ベースでの黒字化も確実となり、さらなる事業拡大を目指している。それだけではない。漁網リサイクル技術については北海道での事業化に対し鈴木商会に、エアバッグリサイクル技術についてはベトナムでの事業化に対し豊田通商に、それぞれライセンス供与されることとなった。契約をまとめたのも玉城自身だ。ベトナムでの事業化を皮切りに、海外他拠点での展開も見据えている。玉城が骨身を削ってカタチにしたノウハウが、いま大きな価値を持って世の中に、世界に広がっていこうとしているのだ――。

その後、玉城はリファインバースの取締役に就任した。一宮の工場は後任に引継ぎ、今は東京に戻って、素材ビジネス部全体を統括している。年収も上がり、心配をかけた妻にもようやく少し、報いることができたはずだ。ひさびさに開かれた前職時代の仲間との飲み会で、同期の何人かが、課長に昇進したと報告してくれた。大企業の中でキャリアをかさねていく旧友と互いの苦労話を交わしながら、自分の選んだ道は間違いではなかったと、玉城はこの激闘の数年間を改めて振り返るのだった。